ちいさな幸福

仏教のこと

5年前の自分に言ってやりたいことを書きます。

あなたは今そこにあるちいさな幸福に気づかない。もっとすごい幸福、圧倒的な幸福を夢見る。
滅多にないで、そんなの。

お金が大好きですね。お金があれば、世の中のこと、大概できると思っています。名誉も引っ付いてくるでしょう。
教育や命さえお金で買えるんやな、恐ろしい世の中やでって思いましたね。

ところが年収約800万円でお金の幸福は頭打ちになるのは本で読んで知っていますね。また、会社に所属していて年収を100万円増やすには、死ぬ気で働かないとだめでしょう。

希望年収を達成する前に、睡眠不足、運動不足から心を壊し、ひいては脳卒中、心臓病を引き起こすかも。
家庭も崩壊するかもしれません。
そうなったら戻るのは大変です。お金の幸福はもっともっと欲しくなるきりがない幸福。有無同然です。有ったら有ったで、無ければ無いで困ってくる。

対して、今そこにあるちいさな幸福はどういうものか。
それは、朝、命が継続していて起床できて、目が見える、耳が聞こえる、トイレまで自分で歩けて排尿できて、便が出る。ご飯がいただける。特に身体の痛いところもない。これがどれだけ幸せなことか。

太陽の光が気持ちいい、鳥が鳴いているのが心地よく感じられる、すれちがった赤ちゃんの笑顔がかわいいといった身近に感じられる幸福。
何回味わっても喜べる、飽きない幸せです。

阿弥陀様のくれる幸せも性質はこれらの幸福とよく似ていると思う。

とても不思議な安心感。
阿弥陀様のくれる幸せはとんでもなく大きいものだから、まっすぐな地平線みたいに見えて私には全体像は理解できないだろうけれど。

早くこれに気づけたらいいね。過去の私よ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました