泣きながらも気づいたこと

仏教のこと

光雲先生は私が泣き出した最初の頃から、私の右側に座ってくださって、肩を触って私の話を聞いてくださっていました。
そして、光雲先生は話してくださいました。

「そんな○○さん(私のこと)を救うって阿弥陀さんはおっしゃっているんです。もう落とさんよって。元々法を聞けるような自分ではないんです。○○さんが感じたいもの(火に触れるような体験)はとても小さいもの。なんまんだぶつはそんな小さなものではないんです。その小さなものが分かったとしても、私の知恵で分かる程度のもの。阿弥陀様のなんまんだぶつはそんな小さなものではないんです。」

私は、そうなんやと思いました。もう私を落とさんよとおっしゃっていること、私の欲しかった強烈な体験は小さいものでしかないのかと。

また、聞法仲間の方も一生懸命話してくれました。

「この話が分かったから、次、次の話も分かったから次と聞かせてもらっていたけれど、そうじゃない。
分かる話ではなかったんだ。分かる話でないのに、分かろうとする自分がいた。
でも、自分の有り様は関係ないよ。阿弥陀様の手元では終わっちゃってる。南無阿弥陀仏を聞かせてもらっている。」と。

大事なところかなと思ってノートにメモしていました。仏法は例えば数学Ⅰが分かったから数学Ⅱをやるというような勉強みたいなものじゃないんだなと思いました。

もう夜中の1時ごろになっていました。疲れ果てて、何とかお風呂に入り、就寝しました。

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